学生時代に言われて凄く印象に残っている言葉がある。それは
「悲劇のヒロインになるな!」ということ。
どういうことかというと、多くの人は壁にぶつかったり不条理なことがあって納得しないことが起こった時に「自分自身はなんて可哀想な人間なんだ、自分ほど不幸な人間はいない」というように自らを悲劇のヒロインに仕立ててしまう。
それをしても何にも現実は変わらないから無駄なこと考えるのはやめておけ、という意味だったのだ。
その時は僕もバイト先とかで不条理なこととかを色々と経験して、そのような感情になることは多かったし、実際にそれを聞いて戒めようと思った。
でも、最近感じることはある程度の大人になってもそのような感情を抱き続ける人がとても
多いんだなっていうこと。もちろん、僕自身もそういう感情になることはあるけど笑
ただ、それを自分が自覚しているかどうかっていうのは結構大事なのかなって感じたりもしている。
乗り越える壁が大きくなるほど、過去に悩んでいたことが馬鹿らしく見える
僕の場合、悲劇のヒロイン現象が起こった時には自分よりももっと苦労している人や世界で貧困になっている人、生まれながらにして恵まれていない人のことを想像する。
すると、自分の意識がパッて変わって、前に進み出すことができる。
あとはやっぱり前進して乗り越えて、なるべくそういう感情にならないくらいまで自分を成長させることが大事だと思っている。
なぜなら過去に乗り越えた壁とかは今の状態からすると、本当に大したことがないっていうことに気づくことができるからだ。
皆さんも「昔はなんて、小さなことでウジウジしていたんだろう」って感じる経験があるだろう。それは成長している証拠だ。
そのスピードをいかに早くするか?っていうことが大事なのだが、そのためには常にチャレンジして失敗を恐れないように行動していくことだ。
僕も選択肢が2つあったらきつい道を選ぶっていうことを軸に過ごしていた結果、メンタルやばいかも、、みたいなことは結構あったけど、そのお陰で少しは強くなれたのだと思う。
頭が回っていたら、悪いことを考える暇がなくなる
あとは、やっぱり常に頭を使っておくことを癖づけるしかないなっていうことも付け加えたい。
OOだったらどうしよう。。。とか、OOなんて自分はとても不幸だ〜って思うことは結局、思考を止めている状態だと感じている。
それよりも、どうしたらOOになるだろうか?とかOOにならないためにするべきことは?っていう問いを立てる方が建設的だし、遥かに精神衛生上にも健全だろう。
悲劇のヒロインになると自分自身を守ために、相手に対して矢印を向けることになるから凄くイヤな奴になるし、そういう自分を客観的に見てますます自分自身に自信持てないという現象に陥る。
そうではなくて常に前を見て、来るべきピンチが自分を成長させてくれるチャンスだと捉えて楽しんで壁に立ち向かっていくことが凄く大事なのかなって。
もう一度言うが、悲劇のヒロインになっても誰も得しないからね笑
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