人は見た目が9割、という言葉を聞いたことがあると思う。 逆の言葉で「人を見た目で判断してはいけません」という教えがあると思う。
果たして正しいのはどっちだろうか?個人的にはどっちも正しいと思う。
しかしあえていうなら、人は見た目が9割という言葉は非常に的を射ていると思うし、また人を見た目で判断してはいけませんという言葉は、ある部分が抜けている。それは「人を見た目で最終的には判断してはいけない」ということだ。
なぜなら外見こそが内面を顕在化させたものだからに他ならない。
身に付けるものでその人の内面がわかる
なぜなら人の心の中を覗くことはできないが、結局外見は人の内面によって変わるからだ。具体的には服装、髪型、身に付けるブランド、清潔感、、、などなど。
これらは普段、どういう考え方をしているかによって人それぞれ違う。
よくこれを個性とか性格とか言ったりするが、正直これは間違っているというのが僕の意見だ。なぜなら性格は人間が先天的に持っているキャラクターであるから本質的に変えることは不可能だ。
それなので、もしこれらが性格であるならば一生同じ髪型だし、服装だ。
でも年齢によって身に付けるものや見た目が変わるのは、自分にとって「かっこいい」という観点、つまり考え方が変わるからだ。
ということを考えたときに、その人の思考が外見に現れているといっても過言ではない。
実際に業界によって外見は結構似たり寄ったりになったりするよね。例えば、僕が新卒で入社した金融会社で髭をはやしている人は全くいないし、夏でもポロシャツは絶対に着ていなかった。
でも、外資の会社に入社したらマネージャーはみんな髭をはやしているし、お客さんのところにいかなければTシャツで出社することもあった。
これは金融会社がお金を扱っている以上、信頼されることが大事になってくる中で、見た目から信頼されるような服装を心掛けているということだ。
逆に外資の会社は結果重視。とりあえず結果出しとけば、服装とかヒゲとかは自分の判断でやれ、大人なんだから。という背景が垣間見れる。
つまり外見はどういう思考をしているかによって顕在化するもので、それゆえ相手の判断をするときは外見というのは非常に大事になってくる。
OOという外見の人はOOという感覚を持つこと
それを僕は薄々感じていたこともあり、自分の中でOOという外見だったらこういう考え方をしている人だな、という仮説を持ちながら人を観察するようにしてきた。
最初は全然的外れな仮説だが、徐々に情報量が増えていくにつれて、結構当たるようになってきた。そうすると交友関係の効率がすごい上がる。
人によってはこういう風に判断されるのは癪だと思うかもしれない。でも僕は時間が1日24時間と限られる中で効率はある程度覚悟しないといけないと思っているし、外見で判断されて深い付き合いできないのであれば、結局それまでの関係でしかないということだ。
そういう偏見を乗り越えて仲良くなる人もいるし、冒頭述べたとおり最終的には見た目での判断ではない。
でも結局、外見によって損をしている人は少なからずいるというのは否めない。ので自分も気をつけるようにはしているが、ただもしその観点が完全に抜けている人は改め直すといいかもしれない。
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